
自分の答えの見つけ方
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#チクセントミハイ #フロー #劣等感
日本は劣等感を持ちやすい社会であり、私たちは常にコンプレックスに支配されてしまう。これに対する正攻法は、自分の課題に没頭することである。
0:45 第一章 劣等感を持つ理由
2:14 第二章 日本は劣等感を持ちやすい社会
5:04 第三章 劣等感を克服して自分らしく生きる方法
みなさん、こんにちは。自分の答えの見つけ方のキスケです。今日は仕事の不安について、小林昌平さんの著書「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」を参考に考えていきたいと思います。
参考図書 amzn.to/2PKwYrU
本編の構成は以下の通りです。
第一章 劣等感を持つ理由
第二章 日本は劣等感を持ちやすい社会
第三章 劣等感を克服して自分らしく生きる方法
以上の三部構成でお話ししていきますので、お付き合いください。
第一章 劣等感を持つ理由
突然ですが、みなさんは強すぎる劣等感やコンプレックスに悩んではいないでしょうか。なにか新しいことを始めようと思っても、「どうせ僕・私にはできっこない・・・」とすぐに諦めてしまう方も少なくないと思います。
では、なぜ人は劣等感を持ってしまうのでしょうか。それは、他人と比較してしまうからです。大学自体の友人や会社の同僚、あるいは家族の中には、自分には到底真似できないようなことをやってのける人たちは必ずいます。「同い年なのに、あいつは自分の2倍稼いでいる」「同期なのに上司に可愛がられるのがうまくて、自分より先に出世してしまった」「兄弟・姉妹は素敵な相手と結婚して、幸せな家庭を築いているのに自分はまだ彼氏・彼女すらいない」。このように、自分の身の周りの秀でた人たちと自分を比べてしまうことで、足りていない自分を認識してしまい自己肯定感が下がり、劣等感に押しつぶされてしまいます。
元来、人間は自分を重要で有能な存在だと感じていたい生き物です。そのこと自体は健全なことなのですが、学歴や勤務先の会社、パートナーの職業など「ステータス」を他人と比較して、優位・劣位というかたちで自分の有能さを確認しようとすると、そこに不健全なゆがみが生じてしまいます。
第二章 日本は劣等感を持ちやすい社会
ただこのことは、日本社会固有の特徴によるところが大きいので仕方ないことだと思います。なぜなら、ステータスで人を判断する価値観が根強く残っているためです。戦後日本を代表する知識人丸山真男さんは、社会の在り方を2つに分け、「である」ことを重視する社会と「する」ことを重視する社会があると考えました。
「である」ことを重視する社会
例えば、保守的な大企業のような、終身雇用・年功序列の組織なら、そこの正社員「である」ことや、その会社の重役「である」ことが重視される、「である」型社会だと言えます。
「する」ことを重視する社会
逆に、経歴・学歴など関係なく、どれだけのパフォーマンスを上げたかで給料も昇進も決まる、成長期のベンチャー企業のような実力主義の会社であれば、どれだけのパフォーマンスを「する」かが重視される、「する」型社会であると」いえます。
これはなにも社会の在り方だけではなく、個人レベルで見ても同じことです。一人の人間の在り方が、その人がこれまでこういう経歴「である」というステータスによって判断されるか、その人がいま何を「している」かというパフォーマンスによって評価されるか、2つのとらえ方があります。
日本社会は最近、一部では実力主義、能力主義になってきていて、ベンチャー企業の躍進や野心ある経営者の登場で、「する」型の価値観が台頭していますが、大多数は依然として江戸時代の身分制からつづくムラ社会の伝統を受け継いでいると言えます。つまり、いまの日本社会は「する」型の価値観(実力の価値観)がまざりながら、それでも「である」型の価値観(ステータスの価値観)がいまだに根強い社会なのです。
それは、「お前は百姓でおれはサムライだ。だから頭を地面にひれ伏せ」と「である」によって人々のふるまいが決まる社会です。これと同じように現代においても、会合などで名刺交換をしたときに「おれはどこどこ大卒でどこどこ勤務だから、おれはおまえより上だ」などという意識を持つ人も少なくないと思います。自分の有能さを「所属」や「状態」を他人と比較することで証明したがる傾向にあるのは、日本社会の昔からの悪しき習慣なのです。
一方、行動「する」ことを重視する社会では、そんなことはむしろどうでもいいことです。自分の達成感や万能感は何によって得られるかというと、他人のステータスと比較することではなく、「自分の持てる能力をぎりぎりまで使って、クリアできるかできないかの課題に真剣に取り組む」といった「する」体験の強さによって以外にありません。
第三章 劣等感を克服して自分らしく生きる方法
例えば、実力主義の会社に勤めていたら、「どこどこ大学出身である」ということはどうでもよくて、目の前の仕事に自分の持てる限りの力をだしきれるかどうかがすべてです。その状態こそが、心理学者チクセントミハイの提唱する「フロー体験」です。
チクセントミハイは「人生をどうしたら幸せなものにできるか」というテーマに生涯をかけて挑んできました。人が生きることを実感し、自己肯定感を感じられるのは「チャレンジとスキルのバランスがとれている時」であるという結論に至りました。
これはちょうどゲームと同じです。初めから最強の武器、最強の防具、潤沢なアイテムを装備してしまうと、簡単すぎて楽しさを感じられません。一方で、こんぼうと鍋の蓋の装備しかないのにいきなりラスボスが現れてしまうと瞬殺されてしまい、これまた楽しさを感じられません。仕事においても同じことで、「できないかもしれないこと」と「絶対にできること」の間にある仕事、つまり自分の能力でできるぎりぎりの仕事が「チャレンジとスキルのバランスがとれている」仕事ということなのです。
チクセントミハイはこのような作業に没頭する状態を「フロー体験」と呼びます。この状態にあるあいだ、人は時間の流れを忘れ没頭します。能力を限界まで使うので他のことに関心が向かわず、そののめりこみから静かな高揚感と幸福を味わうのです。
生きてる手ごたえや「自分が有能だ」という自覚は、「フロー体験」のような経験を日々「する」ことによって実感しなければならないのに、そういう経験を久しくしていないので、過去に獲得した「〇〇である」というステータスを他人と比べてしまう。そのことで怠惰に、お手軽にそれを実感したいという無意識の気持ちが起きてくるのだと考えられます。
仕事でふだんから能力に合った課題に熱中している人は、「フロー体験」を身をもって味わっているので、自分の内部が肯定感や有能感で満たされ、ステータスを他人と比較するようなことが必要ありません。
チクセントミハイはこうも言っています。「集中して取り組むべき何かをやり遂げている時は、同時に自分の存在を感じるほどの注意力は残っていない」フロー体験をしている間は、他人の存在はもちろん、自分の存在さえも忘れられているのです。
つい他人と自分を比べてしまい、他人に劣っていることが気になるのであれば、我を忘れるフロー体験を求め、向いている分野で能力ぎりぎりの課題に取り組み、そういう機会を積極的に求めるのがよいのではないでしょうか。
それでは本編のまとめです。
第一章 劣等感を持つ理由
劣等感を感じてしまうのは他人と比較してしまうから。他人との優劣を比較してしまうと、いつまでも劣等感から抜け出すことができない。
第二章 日本は劣等感を持ちやすい社会
日本はちょんまげをしているときからの「である」型社会が強く根付いているため、自分の所属や所有物によってマウント合戦をしてしまう。
第三章 劣等感を克服して自分らしく生きる方法
自分自身さえも忘れてしまうほど集中できることに没頭すること。このフロー体験を積み重ねると他人との比較による劣等感から抜け出し、自己肯定感を高めることができる。
いかがだったでしょうか。日本はどうしても世間体を気にすることを強要する空気みたいなものがありますが、そこから脱して、少しでも自分が興味あることを見つけて没頭してみる。その先に、他人と比べない、自己肯定感の高い自分を見つけることができます。あまり周りを気にせず、自分の好きなことに集中してハッピーな日々を過ごしてみてはいかがでしょうか。
今日はここまで。みなさんの自分の答えが見つかるヒントになると嬉しいです。それではまた。
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