
ゆっくり真理
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422 回視聴 ・ 6いいね ・ 2025/01/17
宗教面においても、それは、キリスト教を中心として、既に論じた封建社会と同一の方向に向かって発展するようになったのであるが、
これを、キリスト教封建社会というのである
すなわち、教区長、大主教、主教は、大中小の領主に該当する地位をもっており、
国王が領主の中の一人だったように、法王もまた、教区長の中の一人だった
そこにも、絶対的な主従関係による宗教的な政治制度があり、
主教たちは信徒から寄贈された封土をもつようになって、彼らは、
封建的な階級層の中で有力な地位をもつ領主ともなっていたのである
つぎに、経済面からこの時代を考察してみるならば、
この時代は、古代奴隷制度から荘園制度へと移った時代だった
したがって、平民は、このときから土地を所有するようになったのである
そして、この時代の土地制度による身分は、
おおよそ、地主、自作農、農奴(半自由身分)、奴隷(不自由身分)などの四階級に分かれていたのである
このように、神は、ゲルマン民族を、新しい選民として教化され、
封建社会を樹立されることにより、衰亡した西ローマ帝国の土台の上に、
宗教と政治と経済の三面にわたる、小単位の天の側の版図を強化し、将来、天の側の王国を建設する
ための基台を、準備することができたのである
(5)君主社会と帝国主義社会
歴史の発展過程において、封建社会の次にくるのは君主社会である
それでは、このときの西欧における君主社会は、政治面から見ると、どのような形成の過程をとったのであろうか
西欧に移動したゲルマン民族が立てた国々は、みな、その存立期間が短かったのであるが、フランク王国だけは長い間存続していた
フランクは西ゲルマンに属する一部族であり、それがメロヴィング王朝を建てたのち、
キリスト教と結合してローマ文明を吸収し、西欧にゲルマン的なローマ風の世界をつくったのだった
この王朝が没落したのち、チャールズ・マルテルは、西侵してきたアラビア人を追い払って勢力を伸ばし、その子ピピンはカロリング王朝を建てた
ピピンの息子であるチャールズ大帝は早くから聖アウグスチヌスの「神国論」を崇拝していたが、
王位につくや否や、彼は、アウグスチヌスの「神国論」を国家理念とする君主国家を建てようとしたのだった
そして、チャールズ大帝は、中部ヨーロッパを統一し、民族の大移動によって混乱に陥っていた
西ヨーロッパを安定させて、強力なフランク王国を確立したのである
つぎに、宗教面において、キリスト教封建社会のあとに続いて現れたキリスト教君主社会は、「
メシヤ降臨のための霊的基台」の上で法王を中心としてたてられた国土のない霊的な王国社会だった
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